京都の地理に不慣れな旅行者の多くが、「百万遍」という住所が存在すると思い込んで現地を訪れます。しかし、京都市左京区の公図を開いても「百万遍町」という地名は見当たりません。この名称の起点となったのは、交差点の北東角に広大な境内を構える大本山百萬遍知恩寺です。円山公園の北隣に位置する浄土宗総本山「知恩院」と混同されがちですが、知恩寺は独自の歴史的背景を持つ名刹です。
「百万遍」の号が生まれたのは、鎌倉時代末期の元弘元年(1331年)に遡ります。当時の京都で猛威を振るった悪疫に対し、知恩寺第8世の善阿空円(ぜんあくうえん)上人が宮中に召し出され、七日七夜にわたって一念につき一万遍、総計百万遍の念仏を唱え続けたところ、疫病が瞬く間に鎮静化しました。これに深く感銘を受けた後醍醐天皇から「百萬遍」の寺号と利剣名号の軸が下賜されたことが、今日に続く呼称の決定的な起源です。
もともと一条白川や四条河原町周辺など京都市内を移転していた同寺ですが、寛文2年(1662年)の火災を経て、現在の地へと移築されました。近代以降、市電の敷設や京都帝国大学(現・京都大学)の発展に伴い、停留所名や交差点名として「百万遍」が広く浸透し、地域の通称として不動の地位を築くに至りました。同寺に伝わる巨大な数珠を参拝者全員で回す「百萬遍大念仏」の伝統は、個人の祈願にとどまらず、共同体の厄災を払い安寧を祈る連帯の記憶を今に伝えています。