ベートーヴェンが1824年に初演した交響曲第9番の第4楽章。オーケストラによる壮絶なプレスト(急速なパッセージ)を断ち切るように響くバリトン独唱の第一声、「おお友よ、このような音ではない!(O Freunde, nicht diese Töne!)」という言葉は、実はシラーの詩には存在しません。完全な聴力を失い、絶望の淵をさまよったベートーヴェンが、それまでの苦悩に満ちた音楽を自ら否定し、歓喜の世界へと聴衆を導くために書き下ろした渾身のメッセージです。
この冒頭部に続き、ドイツの詩人フリードリヒ・シラーが1785年に著した詩『歓喜に寄せて(An die Freude)』のテキストが合唱として響き渡ります。長年、音楽史研究者の間では「シラーの原詩はもともと『自由(Freiheit)』を賛美する歌だったが、厳しい検閲を避けるために『歓喜(Freude)』に書き換えられた」という仮説が語り継がれてきました。現在ではこの「自由説」は確固たる一次史料に乏しい伝説と見なされているものの、フランス革命前夜の啓蒙思想や「すべての人間は兄弟となる」という人類愛の理念が、楽曲の根底に力強く息づいている事実に変わりはありません。
ベートーヴェンはシラーの全篇(24節・100行以上)から、普遍的な友愛と創造主への畏敬の念を歌った節だけを厳選し、自身の劇的な構成に合わせてテキストを組み替えました。単なる祝祭の歌ではなく、過酷な運命を乗り越えた先にある崇高な連帯こそが、この歌詞に込められた真の意図です。