一般の人々が抱く最大の恐怖のひとつに、「もし上空でジェット旅客機のエンジンがすべて止まったら、鉄の塊のように真っ逆さまに落ちてしまうのではないか」というものがあります。しかし、航空機 滑空 緊急着陸 事例を精査すれば、そのイメージが誤りであることがはっきりと分かります。
旅客機は巨大かつ重量級ですが、前述の通り滑空比は18〜20前後という極めて洗練された空力特性を備えています。これは、高度1万メートル(約3万3,000フィート)の巡航中に突然すべてのエンジンが沈黙したとしても、無風であれば180キロから200キロ先までエンジンなしで滑空できることを意味します。この滑空性能が何百人もの乗客の命を救った歴史的事件は、航空史にいくつも刻まれています。
歴史を揺るがした旅客機の滑空着陸劇
- ギムリー・グライダー事件(1983年):エア・カナダ143便(ボーイング767)が給油計算の単位ミスにより高度約1万2,500mで燃料切れを起こし両エンジンが完全停止。元グライダーパイロットであったボブ・ピアソン機長は、失速を防ぐ「最良滑空速度」を厳格に保ち、高度を下げるために旅客機では前代未聞の「フォワードスリップ(機体を斜めに傾けて抵抗を増やす技法)」を敢行。旧ギムリー空軍基地の滑走路跡への無給油着陸を成功させ、全員が生還しました。
- エア・トランサット236便滑空事故(2001年):大西洋上空でエアバスA330型機が燃料配管の破裂により両エンジンを喪失。パイロットは暗闇の大西洋上空を約19分間、距離にしておよそ120kmというジェット旅客機史上最長距離の滑空飛行を続け、アゾレス諸島のラジェス航空基地の滑走路に無傷で接地させました。
- ハドソン川の奇跡(2009年):USエアウェイズ1549便が離陸直後に両エンジンに鳥を吸い込み全動力を喪失。サレンバーガー機長は即座に機首を下げて滑空姿勢を確立し、エネルギーをミリ単位でマネジメントしながらハドソン川への不時着水を成功させました。
事故調査報告書や当時の交信記録、関係者の手記に共通して記されているのは、エンジン停止直後にパイロットが真っ先に行う操作の鉄則です。それは「機首を下げて、速度計の数値を最良滑空速度(Best Glide Speed)に合わせること」でした。焦って高度を保とうと機首を引き上げれば、翼の空気の流れが剥離して「失速(ストール)」を引き起こし、本当に揚力を失って墜落してしまいます。重力を受け入れて降下角を維持することこそが、風を生み、翼を機能させ、機体を操縦可能な飛行機として生かし続ける唯一の道なのです。