魏霊蔵造像記が生まれた舞台は、北魏の孝文帝が洛陽へ遷都した5世紀末から造営が始まった「龍門石窟」です。その中でも最古の石窟とされるのが「古陽洞(こようどう)」であり、洞内の壁面には貴族や高官、仏教結社によって無数の仏像と記念銘文が刻まれました。
清代後期の学者・阮元や包世臣、康有為らが提唱した「碑学派」の興隆により、これら石刻文字の野趣あふれる力強さが再評価されます。その際、古陽洞の碑文を中心に優れた20点が精選され、「龍門二十品(りゅうもんにじゅっぽん)」と総称されるようになりました。
魏霊蔵造像記は、その龍門二十品の中でも「始平公造像記」や「楊大眼造像記」「孫秋生造像記」と並ぶ四品(龍門四品)の筆頭格として扱われています。北魏楷書が持つ原始的な生命力と造形美が極限まで凝縮された、まさに六朝碑刻の金字塔です。