百人一首「田子の浦に」の真相|万葉集から変えられた理由と品詞分解

百人一首「田子の浦に」の真相|万葉集から変えられた理由と品詞分解

百人一首「田子の浦に」の真相|万葉集から変えられた理由と品詞分解の重要ポイントをご紹介します。専門的な知識が満載です。

この歌の作者である山部赤人は、奈良時代前半の神亀・天平年間(724年〜736年頃)に活躍した宮廷歌人です。小倉百人一首では「山辺赤人」と表記されることもあります。

後世の『古今和歌集』仮名序において、紀貫之から「人麻呂は赤人が上に立たむこと難く、赤人は人麻呂が下に立たむこと難し」と最大級の賛辞を贈られ、柿本人麻呂とともに「山柿(さんし)」あるいは「歌聖」と崇められました。しかし、山部赤人 百人一首 経歴を史実に基づいて紐解くと、当時の官位は決して高いものではありませんでした。

六国史などの正史に赤人の名がほとんど登場しないことから、身分は下級官人(下級貴族)であったと推測されています。彼の主たる職責は、聖武天皇の行幸(吉野、難波、印南野など)にお供し、天皇が訪れた土地の美しさを寿ぎ、国家の安寧を讃える公的な歌を詠むことでした。

赤人の残した歌は『万葉集』に長歌13首・短歌37首が収められています。自然の情景をありのままに捉える清澄な叙景歌において右に出る者はおらず、技巧に走らない澄み切った眼差しが特徴です。

【山部赤人 代表作 詳細まとめ】
・「春の野に すみれ摘みにと 来し我そ 野をなつかしみ 一夜寝にける」(万葉集・巻八・1424)
・「若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る」(万葉集・巻六・919)
・「あしひきの 山桜花 日並べて かく咲きたらば いたづらにしてむ」(万葉集・巻八・1425)

公務としての雄大な讃歌を詠む一方で、春の野原ですみれ摘みに夢中になり野宿してしまうような、素朴で愛らしい人間味あふれる短歌も遺しており、自然への純粋な愛着が赤人の文学の根底を貫いています。

山田 真由
著者

山田 真由

暮らしを豊かにする便利アイテムや時短アイデアを中心に、実用的な情報をお届けします。