近年のバラエティ番組や映画の舞台挨拶で見せる渋みのある佇まいとは対照的に、アーカイブ映像や過去の写真がテレビ番組で紹介されるたび、スタジオや視聴者から驚嘆の声が上がります。本名・川島省吾(かわしま しょうご)として太田プロダクションに所属した10代半ばから20代前半の彼は、爽やかな黒髪にシャープなフェイスライン、涼しげな目元が際立つ正真正銘の美少年でした。
SNSやネット掲示板では「昔の写真が俳優やアイドルのレベル」「90年代のトレンディ俳優のよう」といった書き込みが相次いでいます。しかし、本人は当時から自分の容姿に強いコンプレックスを抱き、あえて二枚目路線を拒絶するような自己破壊的な芸風へと傾倒していきました。この複雑な精神性の原点を探ると、幼少期の特異な家庭環境に行き当たります。
彼の父親は国際線のパイロット、母親は客室乗務員(CA)という絵に描いたようなエリート家庭に生まれ育ちました。父親の仕事の都合により、小学2年生から5年生までの約3年間を米国アラスカ州アンカレッジで過ごすことになります。極寒の大地で言葉も通じない現地の小学校に通った経験について、彼は過去の手記や特番インタビューで次のように吐露しています。
「英語が全く話せないまま現地の教室に放り込まれ、休み時間は誰とも話せず、ただ校舎の隅で雪を見つめていた。頭の中で何十人ものキャラクターを作り出して一人芝居をするのが唯一の逃避だった」
マイナス数十度の銀世界で育まれた「強烈な孤独」と「頭内での空想劇」。周囲と容易に馴染めない異邦人としての疎外感が、他者の人格を自らに降臨させる後の狂気的なコントや、豊かな物語執筆の土壌となったのは間違いありません。