白と赤のカーネーションが持つ意味の違いを理解するには、1900年代初頭のアメリカで起きた「母の日」の起源まで時計の針を巻き戻す必要があります。
母の日の創始者として知られるアンナ・ジャービス(Anna Jarvis)は、1905年5月9日に最愛の母アン・ジャービスを亡くしました。母アンは南北戦争期に衛生環境の改善運動に尽力し、平和と母親の権利向上を訴え続けた社会活動家でした。深い悲しみに暮れた娘アンナは、母の崇高な献身を称え、感謝を伝える日を作りたいと決意します。
母の没後2年にあたる1907年5月10日、アンナは母が日曜学校で教師を務めていたウェストバージニア州グラフトンのアンドルーズ・メソジスト監督教会で追悼集会を開きました。その際、母が生前こよなく愛していた「白いカーネーション」を500本手配し、参列した子どもたちや母親たち一人ひとりに手渡したのです。これが、公式な母の日運動の幕開けとなりました。
アンナの熱心な運動は全米へ広がり、1914年にはウッドロウ・ウィルソン大統領が5月の第2日曜日を国の正式な祝日「母の日」として制定しました。この祝祭化の過程で、以下の明確なシンボルルールが確立されたのです。
- 母親が健在である人:胸に「赤いカーネーション」を挿す(感謝と健勝を祝う)
- 母親を亡くした人:胸に「白いカーネーション」を挿す(追悼と永遠の哀悼を捧げる)
この国際的なプロトコルが日本へ導入されたのは大正時代から昭和初期にかけてのことでした。戦後、学校教育や商業施設でのキャンペーンを通じて広く大衆に浸透していく過程で、「健在なら赤、故人なら白」という厳格な区分が日本の冠婚葬祭マナーと融合し、現在に至る強固な文化的共通認識となりました。