世間では「紋切り型を脱却せよ」「個性を出せ」と叫ばれがちですが、コミュニケーション論の視座に立つと、すべての紋切り型を悪と断じるのは大きな誤解です。言葉の定型化には、社会の取引コストを劇的に下げるという強力な防護壁の役割が存在します。
心理学で言う「認知的負荷(コグニティブ・ロード)の軽減」がその最たる利点です。もし毎朝届く数十通の業務メールの冒頭挨拶が、送信者ごとの詩的で独創的な文面で綴られていたらどうでしょうか。受取人は一通ごとに相手の心理や意図を深く推し量る必要が生じ、実務的な意思決定に割くべき脳のリソースを激しく消耗してしまいます。「いつも大変お世話になっております」という定型があるからこそ、私たちは前置きを0.1秒でスキップし、本題である業務内容の確認に直行できるのです。
歌舞伎や茶道に「守破離(しゅはり)」という教えがあるように、まずは「型」を身につけなければ、型を破ることもできません。作家の故・司馬遼太郎氏も対談集の中で「型を身につけていない者の自由は、単なる形無し(かたなし)に過ぎない」という趣旨の警鐘を鳴らしていました。問題なのは「型を使うこと」そのものではなく、「なぜその型を使うのか」を自覚せず、思考停止の逃げ込み寺にしてしまうことです。