だまし絵の歴史において、世界中で最も研究され、かつネット上でも定期的に大バズを引き起こす代表例が「老婆と若い女性」、そして「ウサギとアヒル」です。これらがなぜ見る者の脳を翻弄し続けるのか、その構造的トリックと実証研究のデータを紐解いていきましょう。
まず、1915年に英国の漫画家ウィリアム・エリ・ヒルが発表したことで世界的に広まった老婆と若い女性の見え方の真相です。この絵の驚くべき点は、若い女性の「顎の輪郭」が老婆の「巨大な鼻」として機能し、若い女性の「耳」が老婆の「左目」、若い女性の「首飾り」が老婆の「口」として完全に幾何学的一致を果たしている点にあります。
この図形に関して、豪フリンダース大学の研究チームが393名の被験者を対象に実施した有名な心理実験があります。被験者にこの画像をわずか0.5秒間だけ見せ、どちらに見えたかを調査したところ、18歳から30歳の被験者の約75%が「若い女性」を最初に認識したのに対し、65歳以上の被験者の過半数は「老婆」を最初に認識するという明確な有意差が確認されました。人間は無意識のうちに、自分と同年代の顔や、日常で頻繁に接している属性の顔を優先して知覚する「自己年齢バイアス」を持っていることが、この実験によって実証されています。
次に、1892年にドイツの雑誌で発表され、哲学者ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインらによって論じられたウサギとアヒルのだまし絵です。左右に伸びた二本の突起が、左を向けば「アヒルのくちばし」になり、右を向けば「ウサギの長い耳」になります。
この多義図形における知覚の分岐には、環境要因や文化的記憶(プライミング効果)が決定的な影響を及ぼします。スイスの心理学者ピーター・ブルッガーらの研究によれば、イースター(復活祭)の時期にこの絵を見せると被験者の8割以上がウサギを認識するのに対し、普段の時期や水辺の環境を想起させた直後ではアヒルに見える確率が跳ね上がることが判明しています。脳は網膜の情報をありのまま見ているのではなく、自分の周囲の環境や季節感という「文脈」を無意識に読み込んで像を決定しているのです。
さらに忘れてはならないのが、デンマークの心理学者エドガー・ルビンが1915年に考案したルビンの壺の仕組みです。黒い背景に白い壺が置かれているようにも見え、中央の白いスペースを背景と見なせば、二人の人間が向かい合って見つめ合っている横顔が浮かび上がります。
これはゲシュタルト心理学における「図と地の分離」という原理に基づいています。脳は視野の中にある特定の部分を形のある対象(図)として捉え、残りを背景(地)として認識から締め出します。ルビンの壺では、白と黒のどちらを「図」として採用するかについて、脳内の神経細胞群が競合(双安定知覚)を繰り広げます。黒い領域に焦点を当てれば横顔になり、白い領域に意識を向ければ瞬時に壺が立ち現れるという、知覚の主導権争いが脳内でリアルタイムに発生しているのです。