エミリー・フローゲ(1874–1952)は、ウィーンの木製パイプ職人の家庭に生まれました。クリムトとの出会いは1891年、エミリーがわずか17歳の頃。クリムトの実弟であるエルンスト・クリムトがエミリーの実姉ヘレーネと結婚したことがきっかけでした。しかし翌1892年、エルンストが急逝。残された母子の法定後見人となったグスタフ・クリムトがフローゲ家を頻繁に訪れるようになり、二人の生涯にわたる特別な交流が幕を開けます。
当時、女性が職業人として自立することが極めて困難だったオーストリア=ハンガリー帝国において、エミリーは洋裁の技術を磨き、20代で自らの道を切り拓きました。1904年、姉のパウリーネ、ヘレーネとともに、ウィーンの一等地であるマリアヒルファー通りに高級クチュール店「サロン・フローゲ(Schwestern Flöge)」を設立。従業員最大80名を抱えるトップメゾンへと成長させ、ウィーンの上流階級や芸術家層を顧客に持つ時代の寵児となったのです。
残された数多くのエミリー・フローゲの写真ポートレートには、自らデザインした幾何学模様のドレスを堂々と着こなす彼女の姿が収められています。アッター湖畔での避暑地でクリムトが撮影したとされるスナップ写真群からも、当時の因習にとらわれない意志の強い眼差しと凛とした佇まいが伝わってきます。