くだんに関する記録が爆発的に増えたのは、江戸時代後期の天保年間(1830年〜1844年)のことです。当時の瓦版には、現在の岡山県(旧丹後国や備前国)や九州・肥前国などの農村で「人面牛が生まれ、大豊作とそれに続く疫病を予言した」というニュースがセンセーショナルに報じられました。
弘化4年(1847年)の瓦版では、肥前国で生まれたくだんが「これから数年間は大豊作が続くが、悪病が流行して多くの人が死ぬ」と告げたと記されています。さらに興味深いのは、「このくだんの絵図を家内屋敷に貼れば、一切の悪霊や災難から逃れられる」というご利益がセットで宣伝されていた点です。
当時、天保の大飢饉や政情不安に揺れていた民衆にとって、怪異の予言は切実な関心事でした。情報メディアとしての瓦版は、恐怖を煽るだけでなく、厄除けのお札として絵図を買い求めさせる商業的な装置としても機能していました。