プロジェクトの胎動は2000年代後半に遡ります。サンライズ(現・バンダイナムコフィルムワークス)のプロデューサーである尾崎雅之と、監督を務めたさとうけいいちの両名が掲げたのは、「大人が本気で楽しめる、王道かつ痛快なアメコミ調のバディヒーローアクション」でした。その中核を担うキャラクターデザイナーとして白羽の矢が立ったのが、特撮やバットマンをはじめとするアメコミ文化に誰よりも深い造詣を持つ桂正和でした。
しかし、当時のオファー受託は決して平坦な道のりではありませんでした。当時の桂正和は週刊ヤングジャンプにて重厚な連載『ZETMAN』を執筆中であり、スケジュールの逼迫は限界に達していました。当時の特番インタビューや公式ファンブックで語られた証言によると、当初は多忙を理由に固辞する構えも見せていたといいます。しかし、さとう監督が持参した企画書の熱量、そして「本物のヒーローカルチャーを日本のアニメーションで構築したい」という制作側の覚悟に共鳴し、キャラクター原案の受託を決断しました。
制作初期の打ち合わせでは、従来の日本のアニメにありがちな「美少年・美少女の類型」に逃げず、生活感や挫折、年齢相応の哀愁を背負った人間味あるキャラクターをどう視覚化するかが徹底的に議論されました。この初期段階での強固なコンセプト共有こそが、後の大ヒットを支える揺るぎない土台となったのです。