壬氏の血統と並び、読者の心を強く揺さぶるのが猫猫自身のルーツです。花街の薬師として育てられた猫猫ですが、その実父は軍部の頂点に立つ「稀代の天才軍師」漢羅漢(カン・ラカン)です。
羅漢は極度の相貌失認を抱えており、他人の顔がすべて「碁石」や「将棋の駒」にしか見えません。人間的な感情の機微を解せず、周囲からは変人・冷血漢として恐れられていました。しかし、若き日の彼が唯一「人間の顔」として認識し、心底から魂を奪われた女性が、花街「緑青館」の筆頭妓女であった鳳仙(フォンシェン)でした。
碁と象棋(シャンチー)の対局を通じて強く惹かれ合った二人は結ばれ、鳳仙は猫猫を身ごもります。しかし、羅漢が軍務で遠方へ派遣され、さらにお家騒動に巻き込まれて消息を絶ったことで歯車が狂いました。身請けの約束を反故にされた形となった鳳仙は、妓女としての価値を暴落させ、絶望の中で我が子の指を切断して送りつけるという凶行に走ります。
戻った羅漢を待っていたのは、梅毒に侵され正気を失った鳳仙と、彼女を激しく拒絶する花街の壁でした。赤子だった猫猫は、羅漢の叔父であり名医の漢羅門によって引き取られ、薬草と医術の手ほどきを受けながら育てられました。
猫猫が羅漢を「変人軍師」と毛嫌いし、徹底的に距離を置く背景には、幼少期に植え付けられた母親の狂気と、母を破滅に追いやった男に対する無意識の嫌悪感があります。物語中盤、羅漢が莫大な財を投じて身請け勝負に挑み、朽ち果てゆく鳳仙を妻として引き取ったエピソードは、歪ながらも純粋すぎた愛の結実として、多くの読者の涙を誘いました。