同じ「菅野」という漢字を書きながら、一方は「すがの」、もう一方は「かんの」と読む現象は、単なる気まぐれや発音の崩れではなく、日本史における全く異なる2つの系統に端を発しています。
まず「すがの」のルーツですが、こちらは古代日本の貴族社会にまで遡ります。平安時代初期、第50代桓武天皇の側近として『続日本紀』の編纂に携わった公卿・菅野真道(すがののまみち)で有名な「菅野朝臣(すがののあそん)」が代表格です。菅野朝臣は百済から渡来した氏族(百済系渡来人)を祖としており、植物のカヤやスゲが生い茂る原野を意味する地名「菅野(すがの)」を賜ったことが始まりとされています。植物の「菅」は本来「すげ」と読みますが、複合語になる過程で母音交代や連濁(れんだく)が起き、「すがの」へと変化しました。これが純粋な大和言葉(訓読み)に基づく系統です。
対して「かんの」の成立は、中世の武家社会と「漢字の音読み化」という言語学的現象が深く絡み合っています。鎌倉時代から室町時代にかけて、陸奥国伊達郡(現在の福島県伊達市・伊達郡周辺)に「菅野村」と呼ばれる集落が存在しました。この地頭や武士団が名乗りを上げたのが、武家としての菅野(かんの)氏です。
中世の武士や寺社勢力の間では、地名や人名を格式高く響かせるために、本来の訓読み(すげ・すが)を排し、漢音である「菅(カン)」を用いて「かんの」と音読みする習慣が急速に広まりました。「野」はそのまま訓読みの「の」を残す、いわゆる重箱読みの一種ですが、東北地方の豪族・伊達氏の勢力伸張とともに、家臣団に名を連ねた菅野氏が「かんの」の読みを確立させていきました。つまり、「すがの」は古代国家の歴史を受け継ぐ訓読みルーツであり、「かんの」は中世武士の領地支配と音読み志向から生まれた武家ルーツという、決定的な違いが存在するのです。