歴史愛好家やWeb上のまとめ情報において、頻繁に見受けられる致命的な誤解が2点存在します。歴史的事実と照らし合わせてその誤認を是正します。
誤解1:「溥儀は最初から日本軍に無理やり拉致されて執政になった」
溥儀が天津から連れ出された経緯について、「関東軍の特務機関に拉致された」と解釈されることが少なくありません。事実は異なります。溥儀自身が北京政変以降の国民党軍による陵墓略奪(東陵事件)に激怒しており、清朝復活の支援者を血眼で探していました。溥儀側近の遺臣たちも日本を利用して王政復古を図ろうと画策しており、双方の利害が一致した上での「積極的な脱出」だったのです。板垣との会談で抵抗を見せたのも、国家の主権や民衆のためではなく、「皇帝の称号が維持できるかどうか」という一点のみでした。
誤解2:「執政から皇帝(康徳帝)になったことで溥儀は実権を取り戻した」
1934年3月1日、満洲国は帝制へと移行し、元号は「大同」から「康徳」へと改元されました。溥儀は念願の皇帝に即位しましたが、権力の実態は執政期以上に骨抜きにされていました。1932年9月に調印された「日満議定書」によって国防・治安・鉄道・通信の全権はすでに関東軍司令官に握られており、溥儀の日常の行動から宮廷内での会話に至るまで、御用掛であった吉岡安直中佐らによって24時間監視されていました。溥儀自身が後に「皇帝になった日、私は籠の鳥から金の鎖で縛られた鳥になった」と嘆いた通り、帝制移行は関東軍による支配体制の制度的完成を意味していたのです。