通州事件とは?日本人200名超が犠牲となった歴史の深層と開戦の真相

通州事件とは?日本人200名超が犠牲となった歴史の深層と開戦の真相

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通州事件をわかりやすく理解するためには、まず事件直前に発生した1937年7月7日の盧溝橋事件からの連鎖関係を把握しなければなりません。当時、河北省一帯には日本の息がかかった非武装緩衝地帯として冀東防共自治政府(きとうぼうきょうじちせいふ)が樹立されていました。首都とされた通州(現・北京市通州区)には、日本軍の通州特務機関や通州歩兵守備隊が駐留し、多数の日本人居留民や朝鮮半島出身者が商業活動を行っていました。

治安維持を担っていたのは、日本軍が訓練や武装支援を行っていた中国人の保安隊です。しかし、盧溝橋事件を契機に北平(北京)周辺で日中両軍の武力衝突が激化すると、保安隊の第一総隊長・張慶余らは激しい板挟みと不満を募らせていきます。「自民族同士を戦わせる日本の傀儡には甘んじない」という抗日感情が部隊内で急速に充満していました。

決定的要因となったのが、事件直前の7月27日深夜から28日にかけて発生した日本陸軍機による誤爆事件です。中国第二十九軍への攻撃任務に当たっていた日本軍機が、移動中だった冀東保安隊の兵舎や部隊を敵軍と誤認して爆破し、中国人将兵数十名が死傷しました。この惨事が保安隊将兵の怒りに火をつけ、「日本軍は自分たちを信用しておらず、見捨てるつもりだ」という猜疑心と恐怖が一気に頂点に達します。張慶余は南京の国民政府と内通しつつ、守備隊主力が通州城を離れた隙を突いて1937年7月29日未明、一斉蜂起へと踏み切りました。

清水 千尋
著者

清水 千尋

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。