この寺院の起源を語る上で欠かせないのが、平安初期の征夷大将軍・坂上田村麻呂による蝦夷征伐の伝承だ。当時、この岩窟を拠点に大和朝廷へ激しく抵抗したとされる蝦夷の首長・悪路王(アクロオウ)。田村麻呂は激戦の末に悪路王を討ち果たし、戦勝を記念して窟内に百八体の毘沙門天を祀ったのが始まりと伝えられている。
勝者の歴史観から見れば北方鎮護の聖地だが、敗者となった蝦夷の側から見れば、ここは最後まで自由と誇りをかけて戦った最期の砦であった。毘沙門天の鋭い眼光の向こう側に、朝廷の権力闘争に巻き込まれた古代東北の激動と、討たれた者たちの無念が今も静かに沈殿している。