Q1:なぜ日本の『古事記』や『日本書紀』はこの時代のことを明確に書いていないのですか?
A1:記紀には神功皇后の三韓征伐や応神天皇・仁徳天皇の治世として伝承が記録されていますが、8世紀初頭の編纂方針に基づき神話化・年代の引き伸ばし(いわゆる「記紀の年代繰り上げ」)が行われており、4世紀の実年代と直接一致させることが困難なためです。
Q2:邪馬台国九州説と畿内説、空白の150年の研究で決着はついたのですか?
A2:纒向遺跡の発掘や箸墓古墳の研究により畿内説が優勢となっていますが、九州地域における強固な軍事拠点や交易網の存在も確認されており、九州勢力が東遷してヤマト王権に統合されたとする複合説も含め、依然として学術的議論が続いています。
Q3:5世紀に登場する「倭の五王」の正体は誰ですか?
A3:『宋書』に記された「讃(さん)・珍(ちん)・済(せい)・興(こう)・武(ぶ)」は、一般に第15代応神天皇から第21代雄略天皇までの歴代大王(天皇)に比定されています。特に「武」は、埼玉県の稲荷山古墳出土の鉄剣銘などに刻まれた「獲加多支鹵大王(ワカタケル大王)」=雄略天皇であることが確実視されています。