1972年、アルバム『少女』で鮮烈なデビューを飾った五輪真弓。アメリカ・カリフォルニアでのレコーディングにはキャロル・キングやチャールズ・ラーキーが参加し、「和製キャロル・キング」として音楽メディアから最大級の賛辞を浴びました。しかし、玄人筋からの熱狂的な評価とは裏腹に、初期の活動は大衆的なヒットチャートの最前線とは一定の距離がありました。
転機となったのは、1977年のフランス・パリへの長期滞在です。現地の音楽文化やシャンソンの持つ人生の陰影、言葉の響きに深い感銘を受けた彼女は、従来のフォークやアメリカン・ポップスの枠組みを脱ぎ捨て、より劇的で日本人の琴線に触れる歌謡美学の構築を模索し始めます。当時の音楽制作関係者の回想録によると、「自身のアイデンティティを徹底的に見つめ直し、西洋の洗練と日本の情念を融合させる格闘の末に紡ぎ出されたのがこのメロディだった」と記録されています。
こうして1978年3月21日にリリースされたのが、シングル『さよならだけは言わないで』でした。同年11月にリリースされた名盤アルバム『残り火』にも収録され、これまでの洋楽志向ファンのみならず、歌謡曲を好む幅広い大衆層を瞬く間に巻き込むことになります。オリコンチャートでは最高13位を記録し、シングル売上は20万枚を突破。五輪真弓という稀代のアーティストが大衆の心と完全に共鳴した瞬間でした。