劇中において、この言葉が発せられるシークエンスは極限の緊張感に満ちています。タタラ場での戦いを仲裁し、銃弾を受け瀕死の重傷を負いながらサンを背負って森へ逃れたアシタカ。意識を取り戻した彼に対し、人間への憎悪に燃えるサンは短剣を喉元に突きつけ、「お前たちの首を落としてやる」と激昂します。
今まさに命を奪われようとする瞬間、薄れゆく意識のなかでアシタカが口にしたのが「生きろ、そなたは美しい」でした。この台詞の真意について、宮崎駿監督の演出意図や作品構造を踏まえると、3つの決定的な理由が存在します。
第1に、「人間であることを否定し、呪いの中で戦い続ける魂への敬意」です。サンは赤子の頃に生贄として山犬に差し出され、人間でありながら人間を激しく憎み、狼になりきれない自分に苦悩していました。血と泥に塗れ、怒りに震えながら刃を構えるサンの姿は、客観的には恐ろしく凄惨なものです。しかしアシタカは、己の過酷な運命を全身で受け止め、傷つきながらも必死に闘うその「生の輝き」に圧倒的な崇高美を見出しました。
第2に、「死の誘惑の完全な否定」です。アシタカ自身、タタリ神から受けた右腕の呪いによって理不尽な死の宣告を受けています。死の恐怖と憎悪に呑み込まれそうになりながらも、彼は自ら死を選ぶことを頑なに拒否し、「曇りなき眼で見定め、生き延びること」を誓って旅立ちました。自暴自棄になって自らを刃の前に晒すサンに対し、生きることそのものを絶対に手放してはならないという魂の叫びをぶつけたのです。
第3に、「他者に対する無条件の受容」です。アシタカはサンに対して「人間の味方をしろ」とも「森を捨てろ」とも言いません。自分を殺そうとする敵意をそっくり受け止めた上で、あなたの命はそれだけで尊く美しいと肯定しました。この純粋な全肯定の言葉に触れたサンは、生まれて初めて人間から「存在そのもの」を認められ、激しく動揺して後ずさりすることになります。