三千院を深く味わう上で欠かせないのが、皇族や摂政関白の子弟が歴代住職を務めてきた門跡寺院としての歩みです。その起源は平安時代初期、比叡山延暦寺を開いた伝教大師・最澄が東塔南谷の梨の大木の下に一房を構えた「梨本坊(なしもとぼう)」に遡ります。
その後、歴史の激動とともに寺基は比叡山麓の坂本(滋賀県大津市)や京都御所周辺など市内各地を移転しました。明治維新の神仏分離令と廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる中、1871年(明治4年)、皇族出身の門跡を継承していた梶井門跡が、平安時代から大原に存在していた持仏堂「往生極楽院」の地へと本坊を移転。このとき「一念三千」の仏教思想にちなんで「三千院」と寺名を公称するに至りました。これが現在の三千院門跡の歴史と経緯の決定的な転換点です。
境内の中心に位置する重要文化財往生極楽院は、平安時代末期の1148年に建てられたと伝わる極めて貴重な建築遺構です。内部に安置されているのは、国宝に指定されている阿弥陀三尊像。中央に坐す阿弥陀如来の両脇で、観世音菩薩と勢至菩薩が上半身をわずかに前屈みにして跪く「大和坐り(跪坐)」の姿勢をとっています。これは、往生しようとする臨終の者を一刻も早く救おうと身を乗り出している姿を現しており、藤原期の繊細優美な和様彫刻の極致として知られています。天井に描かれた極楽浄土の極彩色壁画(現在は復元展示あり)と相まって、当時の人々が思い描いた西方浄土のリアリティが今なお色濃く息づいています。