1987年(昭和62年)7月11日、清原啓子は滞在先の住居で急変し、満31歳の若さで息を引き取りました。公表された直接の死因は「心不全」です。
美術界に大きな衝撃を与えたこの訃報は、当時、将来を嘱望されていた若手作家の突然の死として報じられました。清原啓子の経歴とプロフィールを振り返ると、1955年10月に東京都で生まれ、多摩美術大学絵画科油画専攻へ進学。在学中から銅版画(エッチング技法)の圧倒的な魅力に取り憑かれ、驚異的な集中力で作品制作に没頭する日々を送っていました。
死の直前まで彼女は意気消沈するどころか、三島由紀夫の遺作『豊饒の海』四部作をテーマにした壮大な連作版画の制作に全身全霊を注いでいました。何の前触れもなく訪れた心不全という病気による急逝は、彼女自身にとっても志半ばの無念極まる幕切れだったことが、当時の関係者への取材記録や遺族の証言から明らかになっています。