江戸幕府の基礎を築いた徳川家康と、その側近として絶大な影響力を誇った怪僧・天海。二人が密かに描いた都市構想の核心こそが、江戸城の東北方位、すなわち「鬼門」にあたる上野の地に寺院を建立することだった。京都の比叡山延暦寺にならい「東の比叡山」を意味する東叡山寛永寺と名付けられたこの地には、単なる宗教的護符を超えた軍事的・風水的な仕掛けが張り巡らされていたのだ。
陰陽道や風水学を縦横無尽に駆使した天海は、平将門の怨霊を鎮める線上にも主要な社寺を配置し、江戸城を守護する不可視の結界を完成させた。有事の際には兵力を集結させる防衛拠点としての役割も想定されていたという説は、現代の歴史研究者の間でも熱い議論を呼んでいる。将軍の眼差しが注がれたこの空間には、現代人の想像を超える防衛システムが眠っている。