実測データが時速60〜70kmであるのに対し、馬上で手綱を握るジョッキーたちは異口同音に「体感スピードは時速100km〜120km、あるいはそれ以上に達する」と語ります。レジェンド・武豊騎手や調教師へ転身した福永祐一氏をはじめ、トップジョッキーが過去の自著や特別番組のインタビューで吐露してきた騎手目線の体感時速の生々しさは、ファンの想像を遥かに超えています。
この競馬の体感速度と理由には、人間工学および視覚心理学に基づいた明確な根拠が存在します。第1の要因は「視線の高さと重心の不安定さ」です。騎手が馬上に跨がったときの目線の高さは地上約2.3〜2.5mに達します。しかも、サドルにどっかり座っているのではなく、わずか数センチ幅の鐙(あぶみ)の上に爪先立ちし、膝を深く曲げて中腰になるモンキー姿勢を維持しています。高所から剥き出しの状態でバランスを取り続ける環境は、脳に強い緊張感と落下への恐怖を呼び起こし、体感速度を大幅に増幅させます。
第2の要因は「容赦のない風圧と視野狭窄」です。時速65kmで走行中、正面から受ける空気抵抗は風速18メートル毎秒前後に相当します。これは気象庁の定義で「風に向かって歩けず、看板が落下するレベル」の強い台風並みの暴風です。ゴーグル越しに吹き荒れる風圧は騎手の呼吸を圧迫し、動体視力を著しく奪います。高速道路を走行中の自動車から窓の外へ顔を突き出したような過酷な状況下で、騎手は激しい上下動を吸収しながら手綱を操っています。
そして決定的な第3の要因が「高密度な集団走行」です。高速道路で単独走行する時速100kmよりも、大型トラックに四方を囲まれた状態での時速80kmのほうが圧倒的な恐怖感を伴うのと同様に、レース中の馬群は前後左右わずか数十センチの隙間しかありません。隣り合う馬の吐息や跳ね上がる砂礫、他馬と接触すれば落馬・命の危険に直結するという極限のプレッシャーが、騎手の脳内スピードメーターを時速120kmオーバーへと引き上げているのです。