日野町事件の発端は1984年12月28日、滋賀県日野町で酒店を営む女性(当時69歳)の行方が突如分からなくなったことに始まります。年が明けた1985年1月18日、隣町の山林で女性が無残な絞殺遺体となって発見され、自宅にあった手提げ金庫(現金約30万円在中)も発見場所付近の別の山林で壊された状態で見つかりました。
捜査は難航を極めましたが、事件から約3年3カ月が経過した1988年3月、事態は急展開を迎えます。酒店の常連客であり、土地勘のあった阪原弘さん(当時53歳)が別件の酒気帯び運転容疑などで警察に事情聴取された後、強盗殺人容疑で逮捕されたのです。
阪原さんは捜査段階の過酷な取調べの中で一旦自白調書に署名させられたものの、起訴後の初公判から一貫して「警察の脅迫と暴行に耐えかねて虚偽の自白をしてしまった。私は絶対にやっていない」と無罪を強硬に主張しました。しかし、1995年の大津地裁判決、1997年の大阪高裁判決ともに無期懲役を言い渡し、2000年9月に最高裁で上告が棄却され、無期懲役が確定してしまいます。
阪原さんは広島刑務所に服役しながら第1次再審請求を行いましたが、棄却決定に対する異議申し立て中の2011年3月、75歳で無念の獄死を遂げました。名誉回復のバトンを受け取った長男の阪原弘次さんら遺族と弁護団は、2012年に第2次再審請求(死後再審)を申し立て、今日に至る劇的な司法の再検証がスタートしたのです。