藤川球児という稀代のクローザーの足跡を振り返ると、その栄光の裏には常に壮絶な挫折とリハビリの日々がありました。そして、そのすべての暗闇に寄り添っていたのが英子夫人でした。
2000年代初頭、二軍で伸び悩んでいた藤川投手を救ったのは、故・山口高志コーチらとのフォーム改造でしたが、生活面と精神面でボロボロになりかけていた彼を繋ぎ止めたのは家庭でした。毎日のバランスの取れた食事管理はもちろんのこと、結果が出ずに荒れがちになるプロの世界において、家庭を「野球のプレッシャーを完全に遮断できる安全地帯」として機能させ続けたのです。
最大の試練となったのは、2013年からのメジャーリーグ挑戦でした。シカゴ・カブスに移籍後、わずか数か月で右肘の靭帯を断裂。投手にとって選手生命の危機を意味するトミー・ジョン手術(側副靭帯再建術)を受けることになります。
言葉も文化も異なるアメリカの地で、思うように腕が振れない焦燥感。激しい痛みに耐える日々の中で、英子さんは現地での生活環境を整え、日本食を工夫して作り続け、夫の精神的な支柱となり続けました。関係者の証言によると、藤川投手が弱音を吐きそうになった際も、英子さんは感情的に動揺することなく、「あなたが納得いくまで投げればいい」と静かに背中を押し続けたといいます。
さらに2015年、アメリカから日本へ帰国する際、NPBの複数球団からの好条件を断り、故郷の独立リーグである高知ファイティングドッグスへ復帰した際も、妻は夫の「地元へ恩返しがしたい」という想いを最優先に尊重しました。目先の年俸やステータスに惑わされず、野球人・藤川球児の魂の選択を全肯定する。これこそが、英子夫人が発揮してきた真の献身の形でした。