関ヶ原の戦いでの武功を経て、官兵衛の嫡男である黒田長政は筑前国名島52万石に封ぜられ、後に福岡藩の初代藩主となりました。この時代、黒田家の家紋文化はさらなる広がりを見せます。
黒田家が歴史の中で使い分けた主な家紋の種類は以下の通りです。
- 黒田藤巴(定紋):公式な外交文書や正装に用いられた最上位の家紋。花弁の形状や巴の巻き方に黒田家独自の意匠が施されている。
- 黒餅(替紋・軍旗):合戦の陣幕や旗印として多用され、長政の有名な「一の谷形兜」や大水牛脇立兜とともに戦場で恐れられた。
- 五七桐紋:豊臣秀吉から下賜された名誉ある紋。徳川の世となっても格式の象徴として大切に保管された。
- 橘紋:黒田家のルーツや信仰にまつわる古くからの替紋の一つ。
長政は父・如水が命懸けで守り抜いた「藤巴」と「黒餅」を誇りとし、福岡城を築城する際にも城内の瓦や調度品にこれらの紋を刻み込みました。福岡藩の誇り高き象徴として、幕末に至るまで大切に受け継がれることになります。