日本唯一のカタカナ市「コザ」はなぜ消えた?沖縄市の歴史と現在の真相

日本唯一のカタカナ市「コザ」はなぜ消えた?沖縄市の歴史と現在の真相

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コザの歴史を語る上で避けて通れない重大事件が、1970年12月20日未明に発生した「コザ暴動(コザ事件)」です。米軍統治下における住民の怒りとフラストレーションが一気に爆発したこの事件は、沖縄の戦後史を大きく揺るがしました。

直接の引き金となったのは、コザ市中の町付近で発生した米兵による民間人への車両接触事故でした。当時、米兵が起こした人身事故や犯罪に対して軍事裁判で無罪や軽微な処分が相次いでおり、治外法権的な扱いに対する住民の不満は限界に達していました。事故処理に現れた米軍憲兵(MP)の威圧的な態度に群衆が激高し、数千人規模の抗議行動へと発展しました。

当時の報道記録や地元住民の手記によると、「暴動といっても略奪や一般米兵への私刑はほとんどなく、標的となったのは米軍車両や黄色いナンバープレート(米軍私有車)だけだった」と証言されています。炎上した車両は約80台にのぼり、嘉手納基地のゲート内へ押し寄せた群衆によって一部の施設も損壊しましたが、奇跡的に死者は1人も出ませんでした。

この事件は単なる治安悪化ではなく、異民族による長期支配、ベトナム戦争への出撃拠点とされる恐怖、そして人権を軽視された島民による「人間の尊厳をかけた抵抗」であったと歴史研究者の間でも分析されています。このコザ暴動の衝撃が、日米両国政府に沖縄返還交渉を急がせる大きな推進力となったことは歴史的な事実です。

田中 結衣
著者

田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。