凄惨を極めた沖縄戦の末期、陸軍病院へ動員された「ひめゆり学徒隊」。彼女たちは沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒222名と引率教師18名で構成されていた。負傷兵の手当てや水汲み、遺体埋葬といった過酷極まる任務に身を投じた少女たちの平均年齢は、わずか15歳から19歳ほどにすぎない。
生徒たちを引率し、戦後はその惨状を後世に伝えるため生涯を捧げた教員・仲宗根政善が書き残した手記には、砲弾飛び交う壕(ガマ)の暗闇で、命の灯火が次々と消えていった瞬間が刻まれている。これまで一般に公開されてこなかった個人日記や断片的なメモからは、死への恐怖だけでなく、家族を想い、日常へ戻ることを切望していた少女たちのありのままの感情が浮かび上がってくる。