木村俊作氏の半生を紐解く上で絶対に外せないのが、学術的・軍事演習並みのハードトレーニングを誇る日本体育大学(日体大)アメリカンフットボール部での実績です。
高校時代にアメフトと出会った俊作氏は、日本屈指の体育会系最高峰である日体大へ進学。ポジションはディフェンスの要であるラインバッカー(LB)やディフェンスバックを務め、相手オフェンスの暴力的な突進を正面から粉砕するクラッシャーとして名を轟かせました。当時の大学アメフト界における俊作氏の存在感は圧倒的であり、「スターの弟」といった色眼鏡をフィジカルの実力だけでねじ伏せた稀有な存在でした。
大学卒業後は社会人Xリーグの名門「アサヒビールシルバースター」へ入部。さらに俊作氏のキャリアの頂点となったのが、1999年に開催された「第1回アメリカンフットボール・ワールドカップ(イタリア・パレルモ大会)」での日本代表選出です。世界屈指の屈強な外国人選手と真っ向勝負を繰り広げ、俊作氏は守備の中核として日本代表の世界制覇(優勝)に大きく貢献しました。2003年のドイツ大会でも代表選出されるなど、俊作氏は名実ともに「日本アメフト界のレジェンド」の一角を担っていたのです。