この酩酊会見の波紋は、直ちに永田町を直撃した。当時、与党・自由民主党を率いていた麻生太郎首相にとって、中川昭一は政権の要であり、最大の盟友でもあった。麻生政権は世界金融危機への対応で評価を得ようとしていた矢先であり、最側近による前代未聞の失態は政権打倒を狙う野党格好の標的となった。
政治・国際金融の最前線で主導権を握るべき財務相の失態に対し、野党からの追及は苛烈を極めた。予算案の審議が進行する重要な局面において、与党内からも「政権維持のためには辞任やむなし」との声が噴出。中川は当初辞意を否定していたものの、世論の猛反発を受け、会見からわずか数日後に財務相の辞任に追い込まれた。
盟友を失った麻生政権の求心力は急降下し、自由民主党内の動揺は決定的なものとなった。この不祥事は、同年の衆議院議員総選挙における自民党の歴史的大敗と民主党への政権交代を決定づける強力なトリガーとなったのである。