「歌の上手さは遺伝で決まる」という言説は、半分正しく、半分は誤解を含んでいます。耳鼻咽喉科の音声専門医や発声バイオメカニクスの研究者によると、声帯自体の長さや粘膜の厚み、共鳴腔となる副鼻腔や咽頭腔の形状は、指紋のように一人ひとり異なる先天的要素です。生まれ持った楽器の基本設計そのものには個体差が存在します。
しかし、歌が上手い人生まれつき説の真相を深く掘り下げると、骨格のサイズ以上に「声帯周辺の微細な筋肉を自在に動かす神経伝達の緻密さ」が決定的な役割を果たしていることが分かります。喉頭内部にある甲状披裂筋(内筋)や輪状甲状筋といった不随意筋に近い筋肉群を、頭の中で鳴らした音のイメージ通りに瞬時に緊張・弛緩させられるかどうか。この運動協調能力こそが、天賦の才と呼ばれる現象の正体です。
さらに見逃せない要素が歌が上手い人の育ちや幼少期の環境です。人間のピッチ識別能力や倍音の知覚は、脳の可塑性が高い幼少期(おおむね3歳から8歳前後)の音響環境に強く影響を受けます。音楽教室に通っていたかどうかに限らず、日常的に家庭内で親が正確な音程で歌いかけていた、あるいは抑揚の豊かな言語環境で育った子どもは、耳から入った音を声帯の伸長度合いへ即座に変換する「内的聴覚(インナーヒアリング)」の回路を自然と獲得します。大人になってから「何も考えずに正しい音が出る」ように見える人の多くは、この基礎回路が幼少期に強固に形成されているのです。