熱狂的な支持を集め、動員も右肩上がりに伸びていた東京グランギニョルが、1986年の『バルブの塔』をもってわずか活動期間約3年で電撃解散した事実は、演劇史における大きな謎として語られてきました。
関係者の回想録や当時の劇評、飴屋法水自身の後年の発言を総合すると、その解散理由は経済的な破綻やメンバー間の不和といったありふれたトラブルではなく、極めて本質的な表現上の必然性によるものでした。
第一の理由は、飴屋法水における「劇団という制度」への強烈な違和感です。小劇場ブームが加熱する中、劇団を法人化し、観客動員を増やし、定期的に新作を打ってファンを囲い込むというシステムそのものが、表現者の純度を鈍らせる既得権益のように機能し始めていました。飴屋は同じキャスト、同じ座組みで予定調和の舞台を生産し続けることを生理的に拒絶したのです。
第二の理由は、劇場の物理的限界と「美術・音響の自己増殖」です。東京グランギニョルの舞台は回を追うごとに鉄骨や配管、特殊造形が巨大化し、劇場空間そのものを解体・再構築するレベルにまで達していました。俳優の演技を見せるための背景ではなく、舞台美術と機械音響そのものが主役となり、人間を圧倒する次元に達した時、「人間の役者が台詞を喋る」という従来の演劇フォーマットそのものが飴屋の求める表現の器から溢れ出してしまったのです。
事実、飴屋は東京グランギニョルを解散させた直後、さらに過激なテクノ/インダストリアル・パフォーマンス集団「M.M.M.」を結成。生身の人間を極限まで機械的に配置し、重金属と轟音が飛び交う現代美術・身体表現の最前線へと身を投じていきました。東京グランギニョルの解散は挫折ではなく、自らの純粋性を保ったまま美しく自爆し、次の地平へ脱皮するための必然的な儀式だったのです。