「波の下にも都がございます」誰の言葉?壇ノ浦の悲劇と真相を解読

「波の下にも都がございます」誰の言葉?壇ノ浦の悲劇と真相を解読

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戦況が完全に決した壇ノ浦の海上。源氏の兵船が平家の御座船へと矢を射掛け、武士たちが次々と船に乗り移る阿鼻叫喚の中で、二位尼(平時子)は覚悟を固めました。泣き叫ぶ女官たちを制し、濃い鈍色の喪服に身を包んだ二位尼は、幼い安徳天皇を抱き上げます。

何が起きているのか理解できず、不安げに見上げる幼帝に対して放たれたのがこの言葉でした。まずは『平家物語』巻第十一「先帝身投」における現代語訳と原文の対比から、その場の空気を追体験します。

項目原文(覚一本『平家物語』)現代語訳編集部の見解・文学的意図幼帝の問いかけ「尼ぜ、われをばいづちへ具して行かんとするぞ」「おばあ様、私をどこへ連れて行こうとするのですか」事態を把握できない満6歳の無垢さと、対照的な死の切迫感を強調。二位尼の慰め「東を向いて伊勢神宮へ、西を向いて極楽浄土へ念仏を唱えさせ…」「東の伊勢大神宮に暇乞いをなさり、西の西方浄土へお念仏をお唱えなさいませ」国家の長たる皇祖神への告別と、仏教的救済(往生)を完了させる宗教儀礼。決意の台詞「波の下にも都の候ふぞ」「波の下にも、立派な都がございますよ」「死」という恐怖を覆い隠し、苦痛なき神話的世界へ昇華させるための至高の嘘。

波の下にも都がございますの意味は、単なる口から出まかせの慰めではありません。当時広く信じられていた仏教の「竜宮界」や「水底の浄土」の観念を重ね合わせ、現世の泥沼のような戦火から幼帝を解き放ち、海底の都へと魂を導くという祈りが込められていました。源氏の武者に捕縛されて生き恥を晒すことだけは絶対に避けねばならないという、平家首脳陣としての凄絶な覚悟の表れでもあります。

高橋 健太
著者

高橋 健太

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。