この楽曲をめぐる最も有名なエピソードの一つが、楽曲がリリースされた1982年1月当時、純粋な「赤いスイートピー」は植物として存在していなかったという事実です。当時のスイートピーはピンクや白、紫などが一般的で、鮮烈な赤色を咲かせる品種は市場に流通していませんでした。
作詞の松本隆は後に、学術的な事実を知って選んだのではなく、「春を告げる可愛らしい花の名前」として語感と色彩のイメージから直感的に「赤いスイートピー」という言葉を紡ぎ出したと明かしています。ところが、この楽曲の爆発的な大ヒットを受け、全国の花卉(かき)農家や育種家たちが奮起。三重県の生産者などが長年の品種改良を重ねた結果、楽曲発表から約18年後の2000年代初頭に、本物の赤いスイートピー(品種名「愛の残照」など)が正式に誕生・出荷されるという、歌が現実を動かした美しい歴史が生まれました。