明治期から高度経済成長期にかけての日本は、煙と臭気の制御に苦心し続けた歴史を持つ。木桶を用いた野焼き火葬から石炭・重油を用いた炉へと近代化が進むにつれ、急激な都市化が火葬場を住宅街の至近へと押し戻した。周辺住民からの苦情や激しい建設反対運動は全国各地で日常茶飯事となっていた。
転換点となったのは、ダイオキシン類対策特別措置法の施行や、厚生労働省による「火葬場等整備指針」の厳格化である。環境衛生工学の進展とともに排ガス中の煤煙濃度やダイオキシン排出基準が極めて厳しい数値に引き上げられ、旧来型の自然通風に頼る煙突では法規制をクリアできなくなったのだ。
強制誘引ファンと電子制御バーナーが普及したことで、煙突が果たしていた物理的な役割は完全に電子機器とフィルターへと置き換わった。衛生上の要請と法規制の強化が、結果として「煙突のない火葬場」という世界でも類を見ない日本独自のインフラを進化させたのである。