加齢や歯周病の進行に伴って多くの人が直面する悩みが、「歯が長くなったように見える」「歯の根元に隙間(ブラックトライアングル)ができた」という歯茎の退縮だ。ネット検索では「歯茎 下がり 改善 歯磨き粉」という語句が日常的に打ち込まれているが、ここにも重大な誤解が横行している。
生物学的な構造上、一度後退してしまった歯肉組織が、市販の歯磨き粉を塗布・研磨することで元の位置まで這い上がってくることは100%あり得ない。歯肉が下がる主因は、土台である歯槽骨の吸収、あるいは過度なブラッシング圧による機械的擦過傷である。骨という足場を失った歯肉が単独で再生することはなく、形態を物理的に回復させるには、結合組織移植術(CTG)や遊離歯肉移植術(FGG)といった高度な歯周形成外科手術を経るほかない。
さらに恐ろしいのは、良かれと思って選んだ歯磨き粉が「歯茎下がりを加速させる」という逆転現象だ。ドラッグストアの安価な製品や、爽快感を前面に出したハミガキ粉には、汚れを効率よく落とすために研磨剤(無水ケイ酸、炭酸カルシウム等)が多量に配合されている場合がある。歯周病で歯茎が下がり、露出してしまった「歯根部(象牙質)」は、エナメル質に比べて硬度が半分以下しかない極めて脆い組織だ。
硬い毛の歯ブラシに研磨剤入りのペーストをたっぷり付け、力任せに横磨きを繰り返せば、象牙質はみるみるうちに削れ、「くさび状欠損(アブフラクション/擦過傷)」と呼ばれる深い溝が刻まれてしまう。その結果、激しい知覚過敏を引き起こし、神経の抜髄に至るケースすらある。歯茎下がりを自覚した段階で選ぶべきは、高研磨なペーストではなく、「低研磨」「無研磨(ジェル状)」かつ露出した象牙質を保護するフッ素高濃度配合(1450ppm)の製品である。