「経済人」としての功績ばかりが脚光を浴びがちですが、渋沢栄一の真の偉大さは、稼いだ利益を惜しみなく社会に還元した福祉・教育・国際平和事業にあります。
代表的な取り組みが、身寄りのない子どもや困窮した高齢者を保護する施設「東京養育院」の運営です。明治政府が予算縮小を理由に廃止しようとした際、渋沢は私財を投じて存続を支援。1874年から死去するまでの50年以上にわたり無報酬で院長を務め、自ら入所者と接し続けました。
教育面では、近代国家に不可欠な商業教育と女性教育の発展に注力しました。一橋大学の前身である「商法講習所」の創設を支援したほか、成蹊学園、二松學舍、そして日本女子大学や東京女学館の設立・後援にも深く関与しました。
さらに晩年は、民間外交官として日米関係の修復に奔走。1927年にはアメリカの宣教師から贈られた「青い目の人形」を全国の小学校に配るなど、排日運動が激化する国際情勢の中で、民間の草の根交流を通じて平和を模索し続けました。