「中東問題」の核心にあるのは、地中海の東側に位置するパレスチナと呼ばれる狭い土地を巡る、ユダヤ人とアラブ人(パレスチナ人)の激しい領有権争いです。この対立の引き金となったのは、約100年前の第一次世界大戦中に起きた歴史のボタンの掛け違いにあります。
当時、この地域を支配していたオスマン帝国に対抗するため、イギリスは以下の「三枚舌外交」と呼ばれる相矛盾する約束を交わしました。
- フサイン・マクマホン協定(1915年):アラブ人に対し、大戦協力の見返りとしてアラブ独立国家の建設を約束。
- サイクス・ピコ協定(1916年):フランス・ロシアとの間で、オスマン領中東地域を勝手に分割統治する密約。
- バルフォア宣言(1917年):富裕なユダヤ人金融資本の協力を得るため、パレスチナの地に「ユダヤ人の民族的郷土」建設を支持。
ナチス・ドイツによるホロコーストを経て、迫害を逃れたユダヤ人たちが「祖先の故郷」であるパレスチナへ大量に移住しました。1947年に国連はパレスチナをユダヤ側とアラブ側に分ける分割決議を採択しますが、アラブ人側の面積配分が人口比に合わず不利だったため、アラブ側は激しく反発。1948年にイスラエルが国家独立を宣言すると、即座に周辺アラブ諸国が攻め込み、第1次中東戦争が勃発しました。
その後、第4次まで続いた中東戦争を経て、軍事力で圧倒したイスラエルが領土を拡大。もともとそこに住んでいた数十万人以上のアラブ人が故郷を追われ、難民(パレスチナ難民)となりました。互いに「自分たちの生存を懸けた神聖な土地」と信じて譲らない歴史的経緯こそが、現在に至るまで対立が絶対に収まらない最大の理由です。