世間を驚かせたのは、9年間という熟成した愛を育んだ末の入籍でありながら、わずか1年余り(実質約16カ月)でスピード離婚に至ったという事実でした。1990年冬から1991年初頭にかけて離婚が成立した際、芸能マスコミは「多忙によるすれ違い」「性格の不一致」「第三者の介入」など様々な憶測を飛び交わせました。
しかし、後に本人の口から明かされた決定的な離婚理由は、世間が想像するスキャンダルとは全く異なる、きわめて内省的かつ人間的な葛藤でした。宮崎美子はトーク番組や自著関連の取材において、次のような趣旨の告白を残しています。
「9年間付き合っていた頃は対等で楽しい友達だったのに、いざ『妻』という肩書きがついた途端、ちゃんとした奥さんにならなきゃと自分で自分を追い込んでしまった」
相手の上川氏から厳しい家事や尽くすことを強要されたわけではありません。むしろ夫は今まで通りの自然な関係を望んでいたにもかかわらず、宮崎美子自身の中に潜んでいた「家庭に入ったからには良妻賢母でなければならない」という無意識のプレッシャーが、自らの行動を縛り付けてしまったのです。食事の支度や身の回りの世話を義務のように感じ始め、かつて笑い合っていた会話の中に張り詰めた緊張感が漂うようになりました。
息苦しさに耐えかねていた宮崎美子の異変に、上川氏も気づいていました。ギクシャクした空気が続く中で交わされた話し合いの末、「そんなに苦しんでまで夫婦という形にこだわる必要はないのではないか」「元の良い関係に戻ろう」という結論に至ります。泥沼の裁判や財産分与の揉め事は一切なく、お互いの尊厳を守るための前向きなピリオドでした。