夕闇が迫ると、音羽の山は再び深い藍色の影に包まれる。眼下に広がる京都の街明かりと、頭上にそびえる本堂の漆黒の屋根。千年前の人々も、同じようにこの舞台に立ち、自らの小ささと世界の広大さに息を詰まらせたはずだ。
阿弥陀如来の慈悲にすがり、観音の救いを信じた先人たち。彼らが遺したのは、贅を尽くした建築物そのものではなく、「祈り続ける人間の営み」そのものだった。どれほど時代が移り変わり、社会のテクノロジーが高度化しようとも、生老病死の苦悩から人間が解放されることはない。
だからこそ、私たちは今もこの山へ登る。風に吹かれながら古びた木肌に触れるとき、私たちは過去と現在、そして未来へと連なる悠久の時間の環の中に、確かに自分が組み込まれていることを実感するのだ。 (出典: 阿弥陀 山 清水寺(Yahoo!ニュース))
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