福岡県北九州市で生まれ、大分県別府市で育った彼(本名:中川雅也)は、19歳で上京し、武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科に入学した。1980年代前半、世の中がバブル経済の足音とともに浮かれ始めていた時代だ。
当時の暮らしは、まさに破天荒の一言に尽きる。家賃の支払いは毎月のように滞り、電気、ガス、水道が頻繁に止められた。暗闇の中で蝋燭を灯し、暖をとるために毛布にくるまって過ごす夜。部屋には電話すらなく、食費を切り詰めるために友人のアパートを転々とすることも珍しくなかったという。
大学の講義にはほとんど顔を出さず、狭い部屋で本を読み耽り、映画を観ては仲間と朝まで飲み明かす。世間のメインストリームから距離を置き、モラトリアムの時間を徹底的に貪った。一見すると無為に思えるこの過酷な美大生時代こそが、後に彼が持つ独特の人間観察眼と、哀愁の中に暖かみを宿す表現力の土壌となったのだ。