「英仏海峡トンネルをマイカーやレンタカーでドライブして渡りたい」と考える旅行者は少なくありません。しかし結論から言えば、英仏海峡トンネル内に車が自走できるアスファルト舗装の車道は一切存在しません。イギリス側のフォークストン(Folkestone)とフランス側のカレー/コケル(Calais/Coquelles)の間を自動車で移動する場合、ドライバーは車両運搬専用の巨大列車「ル・シャトル(LeShuttle)」に車両ごと乗り込むシステムになっています。
なぜ全長約50kmもの長大な海底トンネルに自動車専用道路を造らなかったのか。その最大の理由は換気能力の物理的限界と防災上の致命的リスクにあります。もし内燃機関を積んだ数千台の乗用車やトラックが50kmにわたって排気ガスを排出し続ければ、地下100メートル近い密閉空間で一酸化炭素中毒を防ぐために莫大な換気シャフトが必要となります。さらに、トンネル内で車両火災や多重衝突事故が発生した場合、避難誘導は極めて困難を極めます。検討の結果、電気機関車が牽引する閉塞空間への車両搭載輸送が唯一の現実解として採用されました。
実際の「車の乗り方」の手順は極めてシステマチックに設計されています。
- 事前予約と自動チェックイン:利用者は公式サイト等でナンバープレートと日時を事前登録。ゲートではナンバー自動認識(ANPR)によってスムーズに搭乗手続きが完了します。
- 国境審査(事前並置審査):イギリス側フォークストンターミナルで英仏両国の出入国審査を一度に通過(Juxtaposed controls)。フランス到着後は税関を抜けるだけでそのまま現地の高速道路に合流できます。
- 列車への積載(ボーディング):誘導に従って専用ホームへ進み、全長約800メートルに及ぶ「ル・シャトル」の密閉客車内へ車ごと自走して乗り入れます。普通乗用車は2階建て(ダブルデッキ)車両へ、車高の高いSUVやミニバン、キャンピングカーは1階建て車両へと振り分けられます。
- 海底横断中の過ごし方:列車内ではエンジンを停止し、パーキングブレーキを引いてギアを入れます。乗客は車内に座ったままでも、車外に出て空調の効いた客車内を歩いてトイレ等へ向かうことも自由です。海底区間の所要時間はわずか約35分で、揺れは新幹線並みに小さく、閉所感を感じる間もなく対岸へ到着します。
この輸送システムを支えるのが、2本の単線鉄道用本坑(直径約7.6m)と、その中央に並行する1本のサービス用トンネル(直径約4.8m)からなる「3本並行チューブ構造」です。中央のサービストンネルは常に気圧が高く保たれており(陽圧管理)、本坑で万が一火災が発生しても煙が侵入しない設計となっています。本坑とサービストンネルは375メートルごとに連絡横坑(クロスパス)で結ばれており、世界でも最高水準の避難安全性能を誇ります。