六甲山中の鬱蒼とした雑木林の谷底で発見された鳴海清の遺体の状態は、捜査員や検死官が息をのむほど凄惨なものでした。残暑の厳しい時期であったため遺体の腐敗・白骨化は著しく進み、野生動物による食害も受けていました。しかし、それ以上に異様だったのは、遺体に刻まれた無数の暴力の痕跡でした。
司法解剖の結果、鳴海清の死因は頸部圧迫による窒息死(絞殺)、あるいは背部・胸部への多発性刺創による失血・外傷性ショック死と断定されました。遺体の背中には刃物で十数箇所も突き刺された痕があり、生前に激しい殴打や拷問を受けた形跡が骨の損傷などからも裏付けられました。単に命を奪うだけでなく、激しい憎悪と見せしめの意図を孕んだリンチが行われたことは明白でした。
さらに現場を混乱させたのが、遺体の手指の状態です。指先の一部が刃物で切断、もしくは薬品等で焼損されたかのように損壊しており、警察の初期捜査において指紋の採取を極めて困難にさせる偽装工作が施されていました。衣服のタグも外され、所持品は一切残されていませんでした。
この極限状態の中で身元を決定づけたのが、わずかに剥離採取できた右手親指の指紋と、警察が保管していた過去の前歴資料、そして歯型(歯科治療痕)の緻密な照合でした。奥歯の特徴的な金属冠や歯列の形状が、鳴海清が生前に治療を受けていた歯科医院のカルテと完全に一致。この瞬間、六甲山の無残な死体が「世紀のヒットマン・鳴海清」であることが法医学的に立証されたのです。