『徒然草』第52段「仁和寺にある法師」は、単にドジを踏んだ老僧を笑うための古典文学ではありません。どれほど純粋な情熱を抱き、過酷な努力(往復44キロの踏破)を重ねたとしても、「前提の確認」を怠り「指導者の知恵」を拒んだ挑戦は、根底から瓦解するという冷徹な現実を教えてくれます。
情報が溢れかえる社会において、私たちはいつでも手元で知識を得た気になり、仁和寺の法師と同じように「かばかりと心得て(これくらいで全部理解した)」と満足してしまいがちです。しかし、どれほど手軽に情報を集められる時代であっても、現場の真実を知る「先達」の助言や、違和感を覚えた際に立ち止まって確認する謙虚さに勝る安全装置はありません。
古典の学びとは、過去の言葉を暗記することにとどまらず、千年前の人間の失敗を鏡として自らの行動を律することにあります。試験勉強に取り組む学生も、実社会で重大な判断を下す大人も、「自分は今、山麓の寺社だけを見て満足していないか?」と自問自答する姿勢を忘れてはなりません。 (出典: 仁和 寺 の 法師(Yahoo!ニュース))
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