1990年代中盤、日本野球機構(NPB)の盟主たちが支配する球界において、一人の投手が放った主張はまさに青天の霹靂だった。千葉ロッテマリーンズのエースとして球界屈指の剛腕を誇っていた彼は、球団主導で進められたサンディエゴ・パドレスへのトレードを断固として拒絶する。少年の頃から憧れ続けたニューヨーク・ヤンキースへの移籍以外には目もくれなかった。
選手に選択権がなかった時代だ。組織に刃向かう反逆者というレッテルを貼られ、激しいバッシングが吹き荒れた。それでも彼は一歩も引かなかった。結果として日米間の選手移籍制度に巨大な風穴を開け、のちのポスティングシステムの整備へとつながる契機を生み出した。彼が強行突破した道は、メジャーリーグベースボール(MLB)を目指す後進たちにとっての不可逆な跳ね橋となったのである。