歌謡曲『岸壁の母』は単なる創作ではなく、端野いせ(はしの いせ)という実在の女性が経験した過酷な実話に基づいています。いせは石川県に生まれ、後に東京の大森で暮らしていました。彼女にとって唯一の希望であり、生きがいであったのが、手塩にかけて育て上げた息子・端野新二(はしの しんじ)でした。
1944年、太平洋戦争の戦局が悪化する中、新二は召集を受けて旧満州(現中国東北部)の関東軍部隊へ出征します。翌1945年8月の終戦時、ソ連軍の侵攻によって多くの日本兵が捕虜となり、極寒の地へ送られるシベリア抑留の悲劇に見舞われました。新二の消息も完全に途絶え、生死すら分からない暗闇の日々が始まったのです。
1950年頃から、京都定航の舞鶴港に引揚船が入港するたび、いせは東京から夜行列車に揺られて舞鶴へと向かいました。引き揚げ船が接岸する平野岸壁で、胸に新二の名を書いた名札を抱き、下船してくる復員兵一人ひとりに「端野新二という名を知りませんか」と声を掛け続ける姿は、港の名物と呼ばれると同時に、多くの人々の涙を誘いました。政府から届いた戦死公報を信じず、母の直感だけを頼りに港へ通う日々は、引揚船の運航がほぼ終了する1950年代後半まで続きました。