「人を呪うと自分に返ってくる」という言説の起源を辿ると、日本の呪術史と密接に結びついたことわざ「人を呪わば穴二つ」に行き着きます。この言葉の語源は、平安時代から中世にかけて宮廷や貴族社会で暗躍した陰陽師(おんみょうじ)の儀式作法に由来します。
当時、政敵を失脚させるために行われた「呪詛調伏(じゅそちょうぶく)」は、極めて危険な禁術でした。陰陽道において呪いをかける術者は、相手にかけられた強力な防御結界や術式の失敗、あるいは神仏の怒りによって呪いが自分に跳ね返る「呪詛返し(じゅそがえし)」のリスクを常に負っていました。そのため、陰陽師は儀式を執り行うにあたり、呪い殺す相手の墓穴だけでなく、跳ね返りで即死する自分自身の墓穴も含めた「合計2つの穴」をあらかじめ掘らせていたのです。命がけの覚悟がなければ他者を呪うことなどできないという、プロの呪術者による極限のリアリズムが言葉の正体でした。
また、江戸時代以降に民間で広まった「丑の刻参り(うしのこくまいり)」にも、同様の厳しい代償とリスクが規定されていました。白装束に身を包み、頭に五徳を戴き、深夜の境内の神木に藁人形を五寸釘で打ち込むこの呪術は、「儀式を他人に見られた瞬間に呪いが反転し、自分自身が狂死する」という掟が存在します。さらに、夜間の不法侵入や神木の損壊は当時から重罪であり、見つかれば社会的にも命を落とす危険を伴っていました。歴史が証明しているのは、オカルト的な霊力の有無にかかわらず、他者を呪う行為そのものが最初から「自滅の導火線」を内包しているという冷徹な事実です。