インターネットや自己啓発の世界で流布している言説のなかには、人をさらに追い詰める危険な誤解が紛れ込んでいます。その最たるものが、「人は誰もが生まれながらに固有の使命(ミッション)を持って生まれてきている」という過度な運命論です。
スピリチュアルな言説において「魂の使命を見つければ人生のすべてが好転する」と語られることがあります。それが前向きな行動のきっかけになるなら害はありませんが、「使命が見つからない自分には価値がない」「早く天命に出会わなければ手遅れになる」と焦燥感を募らせるケースが後を絶ちません。生物学および進化論の知見に立ち返れば、生命の誕生そのものに特定のドラマや神話的なシナリオがあらかじめ刻まれているわけではありません。
生命は偶然の連鎖によってこの世に産声を上げました。「あらかじめ決められた意味」が存在しないということは、言い換えれば「あなたが後からどんな意味でも自由に与えて構わない」という究極の自由を意味します。大きな社会的功績を立てることだけが生きる意味ではありません。温かいお茶を飲んで「美味しい」と感じること、道端に咲く花に目を留めること、好きな音楽に胸を震わせること。そうした一つひとつの微細な知覚体験そのものが、生物としての充足であり、立派な存在の証明です。