良性疾患の手術では、女性ホルモン(エストロゲン)の分泌を維持するために卵巣を温存するケースが多く見られます。しかし、臨床の現場では「卵巣温存の子宮全摘でも性欲低下が起きてしまった」と悩む女性が後を絶ちません。
この現象には、生理学的要因と心理的要因の双方が深く関与しています。まず生理学的には、子宮を摘出する過程で子宮動脈を遮断するため、子宮動脈から卵巣へと分岐していた血流網が遮断されます。卵巣自体の主血管は残されているものの、一時的に卵巣への血流が減少し、術後数ヶ月にわたり卵巣機能が一過性に低下(ホルモン分泌の揺らぎ)することがあります。その結果、更年期に似たホットフラッシュや腟の乾燥、性欲減退が一時的に引き起こされるのです。
さらに大きな影響を与えるのが心理的バウンダリーの崩れと「喪失感」です。子宮は妊娠・出産の象徴であり、女性自身のアイデンティティと強く結びついています。たとえ病気治療のためとはいえ、自らの臓器を失ったことに対する無意識の悲哀(グリーフ)や、「女性としての自分が欠けてしまったのではないか」という心理的トラウマが、性欲のブレーキとなって現れます。これは決して本人の心が狭いわけでも意志が弱いわけでもなく、重大な外科的手術を経た心身の自然な防御反応です。